創学の理念
1、薬学を普及する
2、社会に有用な薬剤師を養成する
3、医薬分業を実施する
4、国民の保健衛生に貢献する
運営の大綱
1.薬学教育6年制に適応した施策
新しい教育体制の確立をめざし、医療倫理を重視した質の高い医療薬学教育及び実務研修実施のための体制づくりを行う
学部6年制の上に「大学院」の設置を検討する
優秀な学生の確保を図るため、入試制度及び入試出願資格の多様化を図る
多様な進路に対応するため、新たに4年制学科(「4+2」)の併設を図る
薬剤師生涯教育充実のため、社会人大学院等の設置を図る
2. 教育・研究の質の向上を図るための施策
教育・研究業績の適正な評価制度を導入し、弾力的で柔軟な予算運営、人材登用を図る
任期制の導入を図る
受託研究並びに研究助成金等の外部資金の獲得を図る
国際学術交流の充実を図る
「アジア・アフリカ創薬研究センター」の設立構想を図る
3. 財政基盤の確立と経営の効率化を計るための施策
中長期経営計画を策定し、財政の安定化のために定期的にその有効性と継続性の見直しを実施する
評価制度を導入する。給与体系と退職金制度の見直しを行う
寄付金並びに収益事業の増収を図る
4. 国際標準化機構(ISO)が定めるISO-14001(環境マネジメントシステム規格)の認証取得を図る
5. 教育研究及び財務内容に第三者評価の導入を図る
6. 社会貢献の充実を図る
7. 寄附行為並びに関連規程の改正と整備を行う
8. 維持員の増強並びに維持員制度・評議員選挙制度の見直しを行う
(出典;明治薬科大学HPより)
明治薬科大学HP
沿革
1902年 東京都神田区神田三崎町に東京薬学専門学校が設立された。
1904年 文部省専門学校令で神田薬学校と改称した。
1906年(明治39年) 明治薬学校と改称。
1907年 東京女子薬学校が設置された。(日本最初の女子薬学校)、同年共に麹町区紀尾井町に移転。
1919年 麹町区中六番町に移転。女子薬学校は移転せず。
1923年 明治薬学専門学校(専門学校令による専門学校に認可された。)同年関東大震災で校舎焼失。
1924年 渋谷区笹塚に移転。
1930年 世田谷区駒沢校舎に移転。同年、笹塚校舎に移転していた女子薬学校が女子薬学専門学校として認可された。
1945年5月 空襲で笹塚校舎焼失。女子薬学専門学校も世田谷区校舎に移る。
1946年 女子薬学専門学校が田無町(西東京市)に移転。
1949年 新制大学、明治薬科大学が認可された。
1950年 女子薬学専門学校も明治薬科大学・田無校として認可された。
1957年 製薬学科(世田谷)、厚生薬学科(田無)設置。
1964年 厚生薬学科を薬剤学科に改称。衛生薬学科設置。
1975年 大学院薬学研究科修士課程設置。
1995年 大学院薬学研究科博士課程設置。
1998年 現清瀬キャンパスに移転。
2006年 薬学教育6年制移行により、薬学部薬学科を6年制に移行、4年制学科の生命創薬科学科設置。
学部
剛堂会館(東京都千代田区紀尾井町)薬学部
薬学科(6年制)
生命創薬科学科(4年制)
大学院
薬学研究科
(出典;Wikipediaより)
明治薬科大学紹介サイト